あらかわ楽習(がくしゅう) 実践ガイド
川で楽しく安全に自然体験・環境学習を実践するための指導者向けガイドブック
■はじめてでも安心!実際に踏むステップに沿ってやさしく解説。
■子どもたちが自ら課題をみつけ探求する 「課題学習」や、楽しい「自然体験プログラム」などを組み合わせて年間プラン編成。
■安全面の情報を特に充実。
【主な内容】荒川の自然地マップ、
あらかわ楽習のメニュー、
課題学習のステップと指導、
授業計画と準備、安全管理、
やってみよう!クリーンエイド、
プログラム など
本書は、教育関係の皆さまに配布しております。在庫によっては配布をお断りすることもあります。事務局までお問合せ下さい。
本の送付の際に同封する郵便振替用紙にて、送料をお支払ください。送料等は以下の通りです。
□送料 500円(2冊まで)
□郵便振替口座 00110-6-368041
発行日:2008年7月
体裁:B5版 56ページ
編著:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
あらかわ楽習実践ガイド編集委員会
発行:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
荒川遊学ガイド
荒川でできるさまざまな自然遊び・自然観察・環境学習などを紹介した指導者向けガイドブック
■子どもたちと荒川の自然を楽しむネタ満載!
■生きものと水質の関係など、遊びを通して学べます。
■安全面の情報を充実。
【主な内容】ヨシズ作り、
昆虫さがし、トンボ調べ、
池であそぶ、干潟であそぶ、
魚をとってみよう、
外から入ってきた生き物、
水の汚れ調べ、川のごみ調べ など
本書は荒川クリーンエイド・フォーラム主催活動へご参加のお子様等に配布中。
本書は、教育関係の皆さまに配布しております。在庫によっては配布をお断りすることもあります。事務局までお問合せ下さい。
本の送付の際に同封する郵便振替用紙にて、送料をお支払ください。送料等は以下の通りです。
□送料 500円(2冊まで)
□郵便振替口座 00110-6-368041
発行日:2005年3月
体裁:A5版 48ページ
編著:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
あらかわ遊学ガイド編集委員会
発行:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
江戸の野菜 ~消えた三河島菜を求めて
荒川クリーンエイド・フォーラムでは、『江戸の野菜』(野村圭佑著)を制作し、発行いたしました。本書は、野村前代表理事が永年温めてきたもので、『江戸の自然誌』の系譜に連なる著作です。当フォーラムとしては、絵本「川から地球が見えてくる」に続いて2冊目の出版書籍となります。
本書には、江戸の人々はどのような野菜を食べていたのか? また、その野菜を生産し、江戸市中へ運ぶために川が果たした役割等が、綴られています。また、都市と近郊の農村間で行われていたリサイクルにも着目、今日の生活を見直すきっかけを与えてくれます。さらに、今は消えてしまった「江戸名産の三河島菜」について貴重な記録を集成、地方野菜を伝統文化として扱うことの意味を問い直します。
・読売新聞「将軍様も食べた『三河島菜』を追う」(10/19付 都民版)
・毎日新聞(10/25付 東京朝刊「余禄」)
・日本経済新聞(11/22付 文化欄)⇒詳細
・朝日新聞(11/27付 朝刊 八坂書房広告)
・日経サイエンス(2006年1月号)~ブックレビュー
・月刊「ポータル」(2005年11月号)~p.53
・農文協 季刊「うかたま」(創刊号:2006年1月号)~p.100(佐々木泉 評)
・「江戸の文献から読み解く日本人の食文化と野菜の栄枯盛衰」(松尾義之 評) 他
発行日:2005年3月
体裁:A5版 48ページ
編著:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
あらかわ遊学ガイド編集委員会
発行:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
日本経済新聞 文化欄(11/22付)に掲載された著者本人談
私の生まれ育った東京都荒川区には、名産の野菜があった。その名を「三河島菜」という。現在JRの駅に名を残す三河島という地名に基づくものだ。江戸時代から昭和初期までは漬物用の野菜として盛んに作られていたが、いつの間にか消えてしまった。
この三河島菜。どんな野菜だったかよく分かっていない。私はこの謎の野菜ともいえる三河島菜を中心に、江戸時代に食されていた野菜について調べてきた。
私がまだ十代だった一九五〇年代後半、明治生まれの祖母は「昔は三河島ではいい菜ができた」と口癖のようにいっていた。昭和の初めには「いい菜漬け」と「いいなづけ」をかけ、「二人は三河島の菜だよ」などと話されていたらしい。子供のころから何となく気になっていた三河島菜を、本格的に調べるようになったのは二十五年ほど前。三河島菜の研究者だった古山清さんとの出会いがきっかけだった。
古山さんが三河島の農家だったお父さんに聞いたところでは、自分たちが作っている漬け菜は単に「菜っ葉」と呼んでいただけで、神田や日本橋の市場関係者が「三河島菜」とのことだった。そこからうかがえるのは、三河島菜という特定の種類があったのではなく、三河島で作られていたいくつかの漬け菜がそう呼ばれていたのではないかということだ。
そこで私は江戸から明治にかけての様々な史料に当たってみた。江戸時代最大の植物図鑑といえば岩崎常正著「本草図譜」(一八二八年刊行)。ところが、図書館で調べてみようとしても、あまりの膨大さにどこから手をつけてよいか分からない。その時たまたま古書店で見つけたのが本草図譜の解説書。私にとってはかなり高価だったが、清水の舞台から飛び降りる思いで購入した。
そのかいあって、本草図譜の中に「江戸三河嶋産」の「菘(すう)」という記述を見つけた。菘は本来中国の菜で現在の唐菜の祖先だが、ここでは塩漬けする菜全般のこと。本草図譜では「形ふゆなに似て」、すなわち小松菜に似ているとしている。このほか、江戸名物を相撲の番付に見立てた「江都自慢」では、西の前頭の一つに「三河島漬な」が登場する。
明治に入っても、一八七三年に文部省から刊行された伊藤圭介著「日本産物志」に、「三河島ノ名産」の「菘」として登場する。図柄は本草図譜に似ている。
もっとも、勧農局(現農水省)の三田育種場から出た竹中卓郎著「穀菜弁覧 初篇」(一八八九年)に描かれた「三河島菘」の挿絵は「本草図譜」や「日本産物志」とは異なっており、むしろ白菜に近い。それは東京都農業試験場に残る三河島菜の絵に共通する。
では三河島菜は、小松菜のような形から白菜のような形に変わったと考えればよいのだろうか。しかし、一九八〇年、東京都北区で代々種苗商を営んでいた鈴木金蔵氏を訪ねたところ、三河島菜は白菜の葉とは全く異なっていたとの話だった。葉の形が芭蕉(ばしょう)のように長かったことから、三河島菜は芭蕉菜とも呼ばれていたという。
こうしてみると、「本来三河島菜という特定の菜はなく、三河島で生産される漬け菜のいくつかの品種の総称」とした古山氏の説が有力になってくる。アブラナ科の野菜は交雑して変化しやすいため、三河島菜は江戸時代以来いくつかのタイプがあったのだろう。
三河島菜の名産地だった荒川区は関東大震災後の都市化で農地が急減。さらに明治期に導入された白菜が漬け菜として主流になった結果、三河島菜は次第に作られなくなっていく。軟らかい三河島菜を作るには短期間に大量の窒素分を与える必要があったというから、こうした伝統的な栽培法が伝承されなかったことも、白菜に負けた原因ではないかと思う。
三河島菜のほかで興味深かったのはカボチャ。「本草図譜」をみると「なんきんほうふら とうなす江戸 番南瓜」として、ひょうたんの形をしたカボチャが登場する。ほかに西洋カボチャに似た「きくざのとうなす」もあるが、江戸では現在京都・鹿ケ谷産として知られる西京カボチャのようなひょうたん形が主流だったようだ。
「江都自慢」と同じ見立番付「浮世人情合」を見ると、「けんやく」の下にひょうたん形のカボチャの絵、さらにその下に「を買い込む人」とある。カボチャなど長く保存できる野菜を安くたくさん買うことは、江戸っ子にとってはしみったれているように映ったのだろうか。
こうした調査結果をまとめた「江戸の野菜」(八坂書房)という本をこのほど刊行した。それが議論のきっかけになり、それぞれの伝統野菜の見直しにつながればうれしい。(野村圭佑 のむら・けいすけ=荒川クリーンエイド・フォーラム代表理事)
川から地球が見えてくる(絵本)
荒川には素晴らしい自然がある一方、河川ごみや排水など様々な問題も存在します。本書では、それらの原因が地球規模で関連しあっていることを紹介しています。次代を担う子どもたちに対し、身近な川に接しながら、かけがえのない地球環境を考えてほしいとの願いをこめて制作しました。
※現在はお取り扱いしておりません(絶版本)。
amazonで中古本が手に入るようです。
発行日:2004年4月
体裁:B5版 40ページ
編著:(文)野村圭佑/(絵)大田黒摩利
発行:特定非営利活動法人
荒川クリーンエイド・フォーラム
発売:どうぶつ社
定価:1500円